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法事での忘れ物を届けに高槻へ
11月のある日曜日、祖母の3回忌があり、広島へ日帰りで行ってきました。
ちなみに、和泉砂川⇨新大阪のくろしお6号はまさかのパンダ号でした。
海南始発の車内はガラガラ。ヘッドレストもパンダ仕様。
とまあ所用ではありますが、ちょっとした乗り鉄も楽しみました。
で、法事が終わった後、事件は起こった。
先に帰った高槻の親戚から連絡があり、大事なカバンを忘れて帰ったとのこと。
どうやら帰り道の途中で気づいたらしい。。
親戚は車で高槻へ帰る。
その親戚のカバンを持った私は新幹線で帰り、翌日高槻まで届けに行くことになりました。
親戚にカバンを届けたあと、帰りにちょっと行ってみたくなった場所へ。
そこは同じ高槻市の土室町。
もう20年以上前のこと、小学校の途中まで過ごした思い出の場所に、大人になった今改めて訪問するとどんな感じなのか見てみたくなりました。
当時住んでいたアパートはまだ現存する。目の前にバス停があり、駅に行くのにも病院に行くのも超便利だった。
このアパートに父母兄弟計5人が6畳の部屋に一緒になって寝ていた。
右端の部屋にはキャラメルをくれるおじいさんがいた。父の転勤で引越す時も近所の人が手伝ってくれたりと何かと暖かいアパートだったのを覚えている。
しかし、向かいの酒屋はケーキ屋に変わっていた。
その隣、プラモデル屋さんがあった所にはコンビニが。
子供の頃走り回っていた時は大きく感じたこの景色も、大人になった今改めて訪れると小さく感じる。
小学校3年まで過ごした阿武野小学校。
あの時の同級生は今どんな姿なのだろう。
とある神社の入り口。名神高速を跨ぐ橋の上から。昔は階段の両隣は森だったはず。
日本の大動脈。名神高速を渡ると。。。
闘鶏野(つげの)神社に着く。ここも昔は鬱蒼としたボロボロの神社だった記憶だったように覚えている。
高速沿いを西に進みアパートの近くの路地裏へ。
高速の反対側の造成地から自転車で坂を下ったりして遊んでいたこの道。
明覚寺。ここで同級生の子と遊んでいたのを覚えている。
高速の裏手には立派な団地が立っていた。
まだ私が子供の頃は団地の建設中で更地が多く、遺跡が発見された時は母親と見に行ったのを覚えている。
高台の団地から下る坂道のカーブで、自転車に乗っていた当時の私がカーブを曲がりきれずに転んだ場所。当時はこんなに建物はなく周りは田んぼだった。
一見ただの森に見えるものは実は番山古墳という立派な史跡だった。
大人になった今来たことで、昔住んでた所がこんなにも歴史と伝統に溢れた場所だった事を思い知る。そして子供の頃の数々の思い出もたくさんある高槻。あの頃の幼馴染とはとっくの昔に連絡がなくなってしまったが、記憶の片隅に私の事を覚えていてくれれば嬉しいな。
もし仮にずっとこの町で育っていたらなど、いろいろ思うところもありますが、人生は人それぞれ。その人にしかできない経験があるので、それを大事にしていきたい。原点に戻ってそんな事を考えた一日でした。